2023年度渋渋【帰国】英語関連資料

■2023年度渋谷教育学園渋谷中学【帰国生入試】英語関連の資料です。

1. The Plutonian Fire by O. Henry 和訳

ペティットは多くの短編を書いたが、編集者たちはそれを彼に突き返した。

彼は恋愛小説を書いていたのだが、私は昔からその手のものには手を出さない主義だった。というのも、世間に広く知られ、人気のある感情というものは、出版の題材としてはふさわしくなく、精神科医や花屋が個人的に扱うべきものだと信じていたからである。

しかし編集者たちは、女性が読むからという理由で、恋愛小説が欲しいと言ったのだ。

だがもちろん、編集者たちはその点で間違っている。

女性は雑誌の恋愛小説など読まない。彼女たちが読むのは、ポーカーの話やキュウリのローションの作り方だ。

恋愛小説を読むのは、太った男や十歳くらいの少女たちである。

私は編集者の判断力を批判しているわけではない。彼らは概して非常に立派な人物だ。ただし人間は一人の人間でしかなく、それぞれに個人的な好みや意見を持っているというだけの話だ。

ペティットは返却された原稿を私のところに持ってきて、なぜ採用されないのか一緒に検討した。

それらはなかなかよく書けた作品で、文体もよく、物語も、あるべきように最終ページの下で終わっていた。

構成もしっかりしており、出来事も論理的で整然とした順序で配置されていた。

しかし私は、そこに「生きた中身」が欠けていると感じた。

そこで作者自身が、もっと主題に親しむ必要があるのではないかと提案した。

「先週、君はアリゾナでの銃撃戦の話を売ったじゃないか」とペティットは言った。

「主人公がコルト45を抜いて、ドアから入ってくる七人の悪党を次々撃ち倒すやつだ。六連発でも——」

「いや、それは別だ」と私は言った。

「アリゾナはニューヨークから遠い。左手で鞍の角をつかんだカウボーイが馬にまたがる、そんな偽物の絵なら編集者をごまかせる。だが恋愛小説ではそうはいかない。だから本気で恋をして、それから本物を書くしかないんだ。」

ペティットは実行した。

私の忠告に従ったのか、あるいは偶然の犠牲者になったのかは分からない。

彼は、堂々として生意気で、理知的で、開放的な一人の女性と出会った。ニューヨークの娘だった。

ある夜、ペティットは高揚した様子で私の部屋にやってきた。

青白く、やつれてはいたが、高揚していた。

彼女が彼に衝撃を与えたのだ。

「オールド・ホス」と彼は口元に新しい笑みを浮かべて言った。

「今夜、あの話が書ける気がする。勝負作だ。うまくいくかどうかは分からないが、感じるんだ。」

私は彼を部屋から追い出した。

「自分の部屋に行って書け」と命じた。

その物語は、感傷的な駄作だった。

泣き言めいた優しさと、あふれ出る自己陶酔に満ちていた。

ペティットが身につけていた芸術性はすべて消え失せていた。

これを読めば、ため息をつく小間使いでさえ皮肉屋になるだろう。

それは約一か月続いた。

彼女が彼のもとを去ると、ペティットは完全に崩れた。

回復した後、ペティットはまた物語を書き始めた。

昔の腕は戻ったが、出来は「あと一歩で良作」という程度だった。

そして第三幕の幕が上がった。

ニューハンプシャー出身の、小柄で黒い目をした無口な娘が、応用デザインを学んでいて、彼に深く恋をした。

内面は激しいが、外見にはそれを示さない、ニューイングランド特有のタイプだった。

ペティットは彼女をほどほどに好意的に扱い、よく連れ回した。

彼女は彼を崇拝し、時折彼を退屈させた。

彼女が窓から飛び降りようとしたとき、事態は頂点に達した。

彼は形だけの、心のこもらない求愛で彼女を救わなければならなかった。

私でさえ、彼女の示した吸い込むような愛の深さには動揺した。

家、友人、伝統、信念——それらは彼女の愛の前では無意味だった。

実に気味が悪いほどだった。

またある夜、ペティットはあくびをしながら現れた。

以前と同じように、傑作が書ける気がすると言い、私はまた彼を部屋に追い込み、インク壺を開くのを見届けた。

午前一時、原稿用紙が私のドアの下を滑り込んできた。

私はそれを読み、夜遅くにもかかわらず歓声を上げて跳ね起きた。

ペティットはやったのだ。

まるでそこに、赤く血を流す女の心臓が置かれているかのように、その心が行間に書き込まれていた。

継ぎ目は見えない。だが精妙な芸術と脈打つ自然が結び合わされ、扁桃炎のように喉をつかむ恋愛小説になっていた。

私はペティットの部屋に飛び込み、彼の背中を叩き、我々が敬愛する不滅の作家たちの名を冠して彼を褒め称えた。

だが彼はあくびをし、眠らせてくれと懇願した。

翌朝、私は彼を編集者のもとへ引きずって行った。

その偉大な人物は読み、立ち上がり、ペティットに手を差し伸べた。

それは栄誉であり、月桂冠であり、家賃保証だった。

そして老ペティットは、ゆっくりと笑った。

「分かったよ」と彼は言い、原稿を取り上げて細かく引き裂き始めた。

「インクでは書けないし、自分の心臓の血でも書けない。でも、他人の心臓の血なら書ける。芸術家になるには、卑劣漢にならなきゃいけないんだ。だから俺はアラバマに帰って、父の店で鋤を売る。」

私は最後の抵抗を試みた。

「シェイクスピアのソネットは?」と口走った。

「彼はどうなんだ?」

「卑劣漢さ」とペティットは言った。

「与えられたものを売ったんだ——愛をね。俺は父のために鋤を売る方がいい。」

「だが」と私は抗議した。

「君は世界最高の——」

「さようなら、オールド・ホス。」

「批評家は——」と私は続けた。

「でも——もし少しは使える営業マン兼帳簿係が必要なら、知らせてくれ。」



2.Living in Truth By Sir Philip Sidney (1554–1586)和訳

真実に生き、そして詩の中で私の恋を示したいと願い、

彼女が――愛しい彼女が――私の苦しみからいくらかの喜びを感じてくれればと思う。

その喜びが彼女を読ませ、読むことが理解へ導き、

理解が憐れみを呼び、憐れみが恩寵をもたらすかもしれない――

私は悲嘆の最も黒い顔を描くのにふさわしい言葉を探し、

彼女の知性を楽しませようと、巧みな工夫を学び、

しばしば他人の書物をめくっては、そこから

日焼けした我が脳に新鮮で実りある雨が降らぬかと探した。

だが言葉はよろめきながらしか出てこず、

〈創意〉の支えを欠いていた。

〈創意〉――自然の子は、継母である〈学問〉の打擲から逃げ去り、

他人の足跡は、私の道ではよそ者に見えた。

こうして言葉を産もうとして苦しみ、

陣痛にあえぎながら無力な私は、

怠ける筆を噛み、腹立ちまぎれに自分を打った。

すると私の詩神(ミューズ)が言った。

「愚か者。自分の心を見よ、そして書け。」


3.Prompt 1 サンプル・エッセイ

Sir Philip Sidney’s Loving in Truth explores the struggle between technical skill and emotional honesty in writing. The speaker wishes to express his love in verse so that his beloved might understand his feelings and eventually show him mercy. At first, he tries to achieve this by studying other poets and searching for elegant language. However, his efforts fail because the words he borrows from others feel unnatural and empty.

The turning point of the poem comes when the Muse tells him to “look in thy heart, and write.” This line suggests that true writing cannot come only from learning techniques or copying admired models. Instead, it must begin with genuine emotion and personal experience. Sidney does not reject study or skill entirely, but he clearly shows that they are secondary to sincerity.

I strongly agree with this idea of writing honestly. When a writer focuses too much on sounding impressive, the result often feels artificial. Readers can sense when words are written only to show knowledge rather than to communicate real thoughts. Honest writing does not mean careless writing; it means that technique should serve truth, not replace it.

In my own experience, the pieces of writing that feel most successful are those in which I stop worrying about perfect expressions and focus on what I truly want to say. Even if the language is simple, sincerity creates a connection with the reader. Sidney’s poem reminds us that while education and practice are valuable, they cannot substitute for an honest voice. To write truthfully is to trust one’s own feelings and allow them to guide the words on the page.

サー・フィリップ・シドニーの『Loving in Truth』は、文章を書くうえでの技術と感情の誠実さとの葛藤を描いた詩である。語り手は、詩を通して自分の愛を伝え、恋する相手がその気持ちを理解し、やがては憐れみを示してくれることを願っている。はじめ彼は、他の詩人たちの作品を研究し、美しい言葉を探すことで、それを成し遂げようとする。しかし、その努力は失敗に終わる。なぜなら、他人から借りた言葉は不自然で、中身のないものに感じられたからである。

詩の転機は、ミューズが語り手に「自分の心を見つめ、そして書け」と告げる場面にある。この一行は、真に価値ある文章は、技法や模倣だけから生まれるのではないということを示している。文章は、まず本物の感情や個人的な経験から始まらなければならない。シドニーは、学びや技術そのものを否定しているわけではないが、それらは誠実さの後に来るものであることを明確にしている。

私は、この「正直に書く」という考えに強く共感する。文章を上手に見せようとしすぎると、その結果はしばしば作為的なものになってしまう。読者は、知識を誇示するために書かれた言葉と、本当に伝えたい思いから書かれた言葉の違いを感じ取ることができる。正直に書くということは、いい加減に書くことではない。技術は、真実を置き換えるものではなく、真実に仕えるものであるべきだ。

私自身の経験からも、最もうまく書けたと感じる文章は、完璧な表現を気にするのをやめ、自分が本当に伝えたいことに集中したときのものである。たとえ言葉が平易であっても、誠実さは読者とのつながりを生み出す。シドニーの詩は、学びや訓練が重要である一方で、それだけでは不十分であることを思い出させてくれる。真実に書くとは、自分自身の感情を信じ、それに言葉を導かせることなのだ。


4.Prompt2 サンプルエッセイ

Despite the risk of misunderstanding, studying classic literature offers important benefits to modern readers. One of the greatest values of classics is that they allow us to see the reality of past societies more honestly than simplified historical summaries. For example, through The Adventures of Huckleberry Finn, I was able to learn about the deep-rooted racial discrimination that existed in the American South. Although some of the language used in the novel is offensive by today’s standards, the friendship between Huck and the enslaved man Jim shows a powerful challenge to the values of that time. Their relationship encourages readers to question social norms and reflect on moral courage, which remains meaningful even today.

Another benefit of reading classic literature is that it helps us understand how values change over time. Classics do not simply teach us what was right or wrong in the past; they show how people thought, believed, and justified their actions within specific historical contexts. This perspective is especially valuable for students who are learning to think critically rather than judge the past only by modern standards.

Whether schools can teach these works without offending modern readers depends largely on how they are taught. In my experience at an American local school, teachers always explained the historical and social background before asking students to read classic texts. As a result, we were encouraged to analyze the ideas critically instead of reacting emotionally. This approach helped students understand that offensive expressions reflect the values of a particular time, not messages that should be accepted today.

As someone who hopes to become a diplomat in the future, I believe studying classic literature will remain essential for me. Every country and region has its own historical background and past values. Learning to understand them thoughtfully through literature is an important step toward respectful dialogue in a global society.

誤解される危険性があるにもかかわらず、古典文学を学ぶことには、現代の読者にとって重要な利点がある。古典の最大の価値の一つは、過去の社会の現実を、簡略化された歴史の説明よりも、はるかに正直な形で私たちに見せてくれる点にある。たとえば『ハックルベリー・フィンの冒険』を通して、私はアメリカ南部において黒人差別がいかに根深く存在していたかを学ぶことができた。今日の基準では不適切とされる表現が使われているにもかかわらず、ハックと奴隷のジムとの友情は、その時代の価値観に対する強い問いかけを示している。この二人の関係は、社会的な常識を疑い、道徳的勇気について考えることを私たちに促し、その点はいまなお大きな意味を持っている。

古典文学を読むもう一つの利点は、価値観が時代とともにどのように変化してきたのかを理解できることである。古典は、過去の行為が正しかったか間違っていたかを単純に教えるものではなく、人々が特定の歴史的背景の中で、どのように考え、信じ、自らの行動を正当化していたのかを示している。この視点は、過去を現代の価値観だけで裁くのではなく、批判的に考える力を養ううえで、とりわけ重要である。

では、現代の読者を不快にさせることなく、学校がこれらの作品を教えることは可能だろうか。その答えは、教え方に大きく左右されると私は思う。私が通っていたアメリカの現地校では、古典を読む前に、必ずその歴史的・社会的背景について説明があった。その結果、生徒たちは感情的に反応するのではなく、考察する姿勢を求められた。この方法によって、問題のある表現は、現代でも受け入れるべき価値観ではなく、特定の時代を反映したものだと理解することができた。

将来、外交官になることを志している私にとって、古典文学を学び続けることは今後も欠かせない。どの国や地域にも、それぞれの歴史的背景や過去の価値観が存在する。文学を通してそれらを丁寧に理解することは、グローバル社会における相互理解と敬意ある対話への重要な一歩だと考えている。